――なぜ、政治家になろうと思ったのですか?
その前に、なぜ記者になったのかをお話した方がいいでしょう。
高校時代は理系教科が苦手だった半面、国語の現代文だけが得意だったので、文章を書く仕事で身を立てられないかと考えるようになりました。一方で、高校から大学時代にかけては小泉純一郎政権下で構造改革の真っ最中であり、まっとうな議論を踏まえずに政策が推し進められることに強い疑問を抱いていました。
私が成人するまでに日本経済は、バブル崩壊から金融危機、不良債権処理を経て構造改革による好景気に沸くという経過をたどりましたが、私の一家も日本の多くの家庭のように、これらの動向に翻弄されました。親に大学に行かせてもらえた私はまだ恵まれた方だったでしょうが、2000年代半ばの好景気でも、決して良い思いをしている人ばかりではないぞ、と反感を持っていましたね。当時から非正規雇用に留め置かれた「就職氷河期」世代の人々の待遇は、いまだに改善されていません。
では、公平性を担保しつつ持続可能な経済構造や社会保障制度を実現するためにはどうしたらいいのか。世の中で起きている問題をよく調べたい、書いて明らかにしたい、世の中をよくしたいという漠然な意識があり、官僚になるほど頭がいいわけではないので(笑)、記者を目指すようになりました。
就職活動では一般企業と並行して、朝日新聞と毎日新聞の試験を受け、大学4年生の春は全滅しましたが、秋採用の試験で毎日新聞に合格しました。
――記者になってからは、政治関連の取材が多かったのですか。
そういうわけではないんですよ。毎日新聞で2006年から5年間配属された秋田県では、3~5年目は行政担当だったので、衆院選、参院選、県知事選、統一地方選と主要な選挙はすべて取材しましたが、それ以外にも街ダネから農業、教育、経済と幅広いテーマで記事を書いていました。4年目の2009年には、秋田から東京本社政治部に3週間だけ出張して、鳩山由紀夫政権時の首相官邸の番記者のお手伝いをしたりもしていましたけどね。
それで政治取材に目覚めたのかというと、そういうわけでもなく、先ほど申し上げた「公平性を担保しつつ持続可能な経済構造や社会保障制度を実現するにはどうしたらいいのか」というテーマを追求するためには、これは経済を勉強しないといけないな、と思うようになりました。2008年のリーマンショック時は秋田で、他県で職を失い、県の緊急雇用創出事業に応募しておられる方を取材したりしていましたし。
――2013年にダイヤモンド社に転職し、「週刊ダイヤモンド」の記者になりましたね。
転職も先ほど申し上げたテーマの延長で決断したと言えます。主に建設、不動産、小売、証券業界を取材しましたが、根底にあるテーマは変わっていません。特に建設業界と小売業界は、人手不足という日本経済最大の構造問題が直撃して、大手はともかく、中小企業では前々から危機的な状態です。
また証券業界を担当したことで、金融業界の最前線の経営者や、日本銀行審議委員経験者などマーケットの第一線の専門家の方々に取材できたことも大きな財産になっています。
――小池百合子東京都知事に関する取材が注目を集めていた時期もありました。
記者会見での「大山鳴動して鼠一匹」質問が散々、テレビ番組やスポーツ新聞に取り上げられましたね。まあそれはいいんですが、都知事選挙で見直しを公約した築地市場移転問題について、東京都議会議員選挙が終わるや、まともな説明を拒否して突然移転に舵を切った姿勢はおかしいと思いました。私は移転反対とは言いませんでしたが、小池知事の説明は明らかに不十分で、移転に反対する「築地おかみさん会」の人たちを裏切った態度は、到底理解できないものでした。
――ここ最近は、大阪万博やカジノIR計画を批判してきましたね。
関西財界の関係者を取材すると、本音では万博にもカジノにもさほど乗り気ではない人が結構います。維新の首長がやる気満々なので、付き合わざるを得ないという感じです。私は賛成・反対を主張する以前に、カジノIRは大阪府市が主張するほど収益が上がるどころか工事のコストが計画以上に膨らむリスクが高いことを指摘してきました。建設業界、不動産業界を取材して来た経験が生きましたね。ただ、万博がここまで混乱するとは、正直予想外でした。
――維新への批判が出馬への決断につながりましたか?
そうですね、自分自身で正面切って戦ってみようと。大阪からの出馬も検討しましたが、立憲民主党との協議の結果、母校の関西学院大学がある兵庫県第7区からの出馬となりました。ただ、現在私が掲げている政策や公約は「公平性を担保しつつ持続可能な経済構造や社会保障制度を実現するにはどうしたらいいのか」のテーマに沿っているものばかりだと考えています。目指すものは、記者時代から何も変わっていないつもりです。
――なぜ立憲民主党なのですか?
私は以前から、米国の民主党、英国の労働党のように、労働組合と連携し、リベラルに軸足を置きつつ現実的な状況に対処し、政権を担い得る中道政党が日本にも必要だと考えてきました。自民党は実際には幅広い考えの方がいると思いますが、極端な保守というか、もはや保守とは言えないような主張にこだわっている方が結構いらっしゃる。日本維新の会は、非常に乱暴な手法で新自由主義的な政策を掲げているうえに、「身を切る改革」が自己目的化しており、目指している社会の姿が見えない。こうした状況では、立憲がウイングをもう少し広げて、旧民主党政権に失望した無党派層の支持を取り戻していく必要があると考えました。
――実際に活動を始めてみて、どうですか?
立憲は高齢者の支持率が高いと言われますが、駅前でビラを配っていると、高校生が結構な確率で受け取ってくれたりします。若い人が必ずしも政治に関心が低いわけではないと思います。あとは、駆け出しの新聞記者時代に戻った気分で、自分の足で有権者のみなさんのところにうかがっていくしかないと思いますね。